まず初めに大谷石(おおやいし)と読みます。「おおたにいし」と読んでしまいそうですね。大谷石と聞くとどのようなイメージがあるでしょうか。古くから様々な用途で使用されてきた大谷石は、聞く人によって全く異なるイメージがある石だと思います。
石塀や蔵、住宅の内外装に使われている建材としての石、巨大な地下神殿や地底湖がある観光地の石、帝国ホテルや教会で使用されている石、特別史跡、重要文化財、名勝に指定された石、カエルやタヌキ、コースターなどの工芸品やインテリアとしての石。
ここでは様々な使われ方をしている大谷石について紹介したいと思います。最後まで読んだころには大谷石が好きになり宇都宮市に興味が沸くかもしれません。
大谷石の選び方や種類を検討中の方はこちらの記事が参考になります。
大谷石のまち宇都宮
宇都宮市と聞くと「餃子のまち」と思い浮かべる人が多いと思います。宇都宮市では餃子を扱うお店がおよそ200店舗あり、店の前を通ると行列ができているのを見かけます。
他にもアジアにおける最大レースの1つジャパンカップサイクルロードレースが開催される場所でもあり、レース当日には日本全国からファンが集まり「自転車のまち」としても有名です。また「カクテル」や「ジャズ」も有名で多くのライブハウスやカクテルバーがあります。
そして今回のテーマである大谷石も宇都宮を代表する産業として、「大谷石のまち」として広く知られています。
大谷石とは
大谷石は栃木県宇都宮市の中心から北西約8mの地点にある大谷町を中心に、東西約5km、南北約10kmに分布している凝灰岩です。(軽石火山礫凝灰岩)約1,500~2,000万年前に火山から噴出した火山灰や軽石岩片が海底に蓄積し、固結して生まれました。緑泥石など、緑色の鉱物を含み、全体的に緑がかった緑色凝灰岩(グリーンタフ)として知られています。
他の石材と比べて軽い
大谷石は比重が約1.7であり墓石などに用いられる黒御影は比重が3.2と2倍近く違いあり、他の石材と比較しても大谷石は軽い石材です。大谷石の石塀に一般的に使用される五十大谷石(150×300×900mm)は約70kgのため、力がある職人は一人で持ち上げました。
耐火性に優れる
大谷石は火に強く、1000度以上の熱に耐えることから、かまど、七輪、石窯、焼却炉にも使われています。大谷石のピザ窯は遠赤外線効果と対流熱でおいしく焼き上がります。
柔らかく加工がしやすい
柔らかく加工が容易なため、古くから基礎石、土留め、石塀、外壁、屋根として使用され、石仏、石塔、石祠や民芸品まで幅広く使われています。現在は建物の内外装材としての使用が主流になっています。
石の風合いは温かみを感じる素朴な風合いが特徴的で、木と石の中間的な存在である大谷石は木造建築と共に歩んできた日本人にとって親しみやすい石材です。
石の里―大谷
大谷町は宇都宮を代表する観光地であり、石に関わる地域資源が点在することから「石の里」の名前で親しまれています。
大谷の奇岩群
大谷地区は、標高20~30mまで隆起した凝灰岩(大谷石)の奇岩群が連なり独特な景観が広がっています。何百万年あるいはそれ以上の年月をかけて風雨に浸食され、現在の奇岩群が形作られました。大谷の奇岩群は所々に松の木が茂り、田んぼの水面に奇岩が浮かぶ姿から「陸の松島」と呼ばれています。
天開山大谷寺
奇岩群が作る丘陵に、とても大きな半球形状の洞穴があります。洞穴には弘仁元年(810年)に開基された天開山大谷寺があり、洞穴内の壁面には平安時代に彫られた国内最古の磨崖仏と言われている大谷観音(千手観音像)が刻まれています。
大谷観音の縁起
その昔、洞穴から湧き出した水が川を作り、川には毒蛇が住んでいました。その水に触れると鳥獣虫魚はたちまち死んでしまい、人間が触れると病気になり、五穀は枯れ、草木もしぼみ人々はこの地を捨てようとしていました。
そこに東国巡錫していた弘法大師がこの話を聞き、里人のうれいを除こうと洞穴に入り毒蛇を退治しました。その後、人々が洞穴の奥に入り様子を見ると、金色に輝く千手観音が彫ってあったということです。
現在大谷寺とその一部は国指定特別史跡・重要文化財・名勝の三重指定を受けており、文化的価値の高い場所になっています。
観光地としての大谷
江戸時代から大谷地区は御止山と大谷寺の存在があり観光地として知られていました。第二次世界大戦が起こると、大谷の石切職人は戦地に向かい、多くの若い石工が失われました。採掘が中断された大谷の地下空間は軍事工場として利用されてきました。
戦争が終わり地元の石工が戦没者の慰霊と世界平和を願い、石山を掘り下げながら大谷石採掘場の壁面に観音像を彫りました。観音像は平和観音と命名され、高さ26.93m、胴回り20mと巨大なもので、平和観音は大谷の名所となりました。
大谷寺・平和観音・奇岩群は大谷の主要スポットとなり、周辺には多くの娯楽施設や旅館が建ち、大谷町は宇都宮市の観光地となりました。
現在は安全性が十分に調査された大谷石採掘場跡地を公開しており、幻想的な巨大地下空間を探検したり、水が溜まり地底湖となった採掘場跡地をカヤックでクルージングしたり、非日常的な空間が体験できる場所として、連日賑わいを見せています。
大谷石の工芸品
観光地となった大谷は、建材としての大谷石はあっても、お土産品としての大谷石はありませんでした。そこで目を付けたのが大谷石のカエルです。石工にとって大谷石細工のカエルは朝飯前で、手先が器用な人であれば誰でも作れたことから小遣い稼ぎ感覚で作っていたアマチュア職人も多数いました。大谷石細工は栃木県の伝統工芸品に指定されています。
大谷石の粉や粒の活用例
大谷石は塊サイズを石塀に、薄くスライスして貼り石に、規格外の石を工芸品に無駄なく利用してきました。更に粒状や粉状になった大谷石も有効活用されています。
肥料や土壌改良剤として活用
大谷石を加工する際に出る石粉は、化学肥料や土壌改良に効果があり一部実用化されています。また大谷石に含まれる天然ゼオライトが、野菜や果実、生花を長持ちさせる効果があり商品化されています。
コンクリートブロックとして活用
ミソが大きく商品化できない大谷石や、加工され端材となった大谷石も粒状にされ骨材に利用します。天然の風合いとコンクリートの強度が両立された大谷石コンクリートブロックは定評があります。
新大谷石の特徴や活用例はこちらの記事が参考になります。
大谷石と帝国ホテル旧本館(ライト館)
皇居を正面にして建てられた帝国ホテル旧本館 ライト館(以下、ライト館と略)は20世紀建築界の巨匠と称されているアメリカの建築家「フランク・ロイド・ライト」によって設計されました。ライト館は幾何学模様に彫刻された大谷石と、ライト館を模ったテラコッタ、スクラッチタイルが多用されており、独創的な雰囲気を醸し出しています。
関東大震災で大谷石の評価が高まり全国に広まった
大正12年9月1日、開業披露の準備を進めていたライト館を関東大震災がおそいました。周辺の多くの建物が倒壊したり火災に見舞われたりする中で、ライト館は軽微な損傷のみであったことから大谷石の評価は高まり、全国的に知られるようになりました。
明治村に移築・復元
ライト館は昭和42年に解体されましたが、中央玄関部が愛知県犬山市の明治村に復元・保存され現在も見ることが出来ます。大谷石を使用した有名な建造物は、国指定重要文化財「ヨドコウ迎賓館」や国登録有形文化財「カトリック松が峰教会」など多数残されているので見学してみてください。
まとめ
ここまで読んでくれた方は、大谷石が身近に感じられるようになったのではないでしょうか。大谷石が作りだす独特な風景は宇都宮の貴重な資源です。現在も宇都宮市では古い石蔵を再生し、魅力ある飲食・販売・サービスを行う店舗が増え、商業建設やランドマークとなる建造物でも大谷石が積極的に使われるようになっています。また2017年度中に大谷石文化財の日本遺産認定を目指し申請にも取り組んでいます。大谷石に興味が沸いた方は是非宇都宮市に足を運んでみてください。
『大谷アカデミー講座』、『大谷寺パンフレット』、『大谷石の来し方と行方』、『遊楽里No.47冬号』